緑って何だろう ~緑と生きる人間に聞く~

記念すべき第一回目は、現在、熊本県立大学の理事長であり、東京農業大学教授,日本造園学会会長等を歴任された蓑茂寿太郎先生に、東京と九州の2つの視点から東京の緑のあり方について語っていただきました。

生産緑地から、生活緑地、生命緑地へ

~ 熊本県立大学理事長 蓑茂寿太郎先生 ~
美しい緑は人の心を動かし、生活大国を支える
横張:
まずは蓑茂先生が緑についてどのように考えていらっしゃるか、お聞かせください。
蓑茂:
緑を大きくタイプ分けすると、神様が作った自然の緑(ゴッドメイド)、畑や屋敷林のような人が作った緑(マンメイド)、人がデザインした緑(マンデザイン)の3つに分けることができます。江戸から東京へ、そして世界有数の経済大国の首都へと移り変わり、大名屋敷の庭園や寺社の境内からオリンピックのために作られた駒沢公園へ、緑のあり方も時代とともに変化してきました。今、経済成長だけを目標とする時代が終わり、少子高齢化社会を支える福祉大国が目標となっていますが、本当のゴールは生活大国だと思います。
緑の問題もその中で考える必要があり、将来会議でも、生活大国のリーディングシティとしての東京をどう作るか、議論すべきでしょう。昭和49年に制定された生産緑地法は、あくまでも都市化に対抗して生産農業をどのように残すかを目的としたものでした。もはやこういった位置づけでは緑地を残すことはできません。緑地を残すには社会が動かなければならず、社会を動かすには人の心を動かす必要があります。そのために役立つのが、生活緑地、生命緑地といった新しい価値観です。今、成城などでやっているクラインガルデンは生活農業ですが、クラインガルデンはもともと病気療養のために考えられた取り組みなので、生命農業ともいえます。私が提案する「美活同源」、すなわち「活力がある地域は美しい」という考え方も同じで、昔、「日本の水田はまさに庭園」「枝打ちやツタを切ってある森林は非常に美しい」と賞賛されたような美しい風景があれば、人が集まり、活気があふれ、地域再生につながります。人の心を動かすことが大切なのです。
人と緑の関わりが、歴史や文化を生み出す
横張:
緑が生活大国のベースとなるためには、どういう条件があるとお考えですか?
蓑茂:
公園や庭園といったマンデザインの緑には、もっとプログラムが必要だと思います。
作って終わりではなく、もっと人が関与して管理運営したほうがいい。日本には今、大小あわせて約10万ヵ所の公園がありますが、ある程度以上の公園については、ひとつの企業がCSRとして管理し、NPOも参加して新たな公としてやっていくといった方法も面白いのではないでしょうか。もうひとつは、緑にからんだ歴史や物語を発見することです。仙台は「杜の都」と呼ばれていますが、「杜」には人が緑化した都という意味があり、戦災によって自然の森が焼失した仙台の歴史を感じることができます。熊本には熊本城の緑や立田山といった幾つもの山があり、「森の都」と呼ばれていますが、ここを初めて「森の都」と呼んだのは夏目漱石でした。生活大国のための都市計画において緑に求められているのは、このような歴史や文化、人の心を動かす何かを生み出す役割だと思います。
互酬性と多様性という視点で震災復興を考える
横張:
今までの日本の緑は官主導でしたが、今は民に移ってきています。緑やランドスケープに焦点を 絞った時、今後、民がどのような役どころを背負っていくべきだとお考えですか。
蓑茂:
公共の公が強すぎて、共が弱くなっているようです。言葉でいうと「自助:自分で助ける」、「共助:共に助ける」、「公助:公が助ける」ですが、今は全部「公助」になっています。例えば、隣の落ち葉が庭に落ちてきたら、行政に連絡するのではなく、息子にトイの掃除をさせましょう、集めた落ち葉は袋に詰めて、隣のお婆ちゃんが腐葉土を作ります、といったことを皆でやればいいのです。そういうことができる人は地方にいますから、東京の大学の先生が地方に行って委員会をやり、地方の人が東京でできることをやるなど、互酬性(お互いに助け合うこと)でやってもいいと思います。今回の震災では、都市と農漁村がかかえる様々な問題が浮き彫りにされたわけですが、これを互いに直し合うことも試されていると思います。東京都には災害復興時の失業対策事業として公園を作ってきた歴史があります。昔は飢饉があるたびに、殿様がお金を使って庭園を整備させました。今は義援金や交付金というかたちになりますが、そういった事業もどんどん作るべきでしょう。被災地の復興プランには、土地や生態系の多様性に配慮した議論も必要です。京都では、桂離宮は桂川のすぐ横に池を掘って山を削って高床式の建物を作り、修学院離宮は山の平らな部分に上御茶屋、中御茶屋、下御茶屋を作りました。ランドスケープにおけるマンデザイン部門として、このような発想が重要だということを、被災地にも当てはめて考えるべきだと思います。これは東京や他の地域でも同じで、ちょっとした谷戸の景観や低地、台地、山裾をどう使うか、徹底して考えるべきです。
新たな発想で屋敷林を活かす
横張:
この会議では、民有地の緑の中でも相続問題等でなくなりやすい屋敷林保全に力をいれようと動き始めたところなのですが、屋敷林に対しては今後、どのような手だてがあると思われますか。
蓑茂:
屋敷林を単なる環境林ではなく、人が使う有用林 として捉える必要があると思います。私は林業について、トン産業、キログラム産業、グラム産業としての林業という提案をしています。今までは、大きい木材を出荷するだけのトン産業でしたが、製材工場があればそこで伐採から木材の搬入、角材への加工、建具の製作など、キログラム産業としての林業が成り立つ。家具の製作ができれば幅が広がるし、素晴らしいデザイナーがいたらグラム産業の可能性もある、という話です。昔はカシの枝でカマの柄を作ったり、ケヤキを生活用品として使ったりしていたのですから、屋敷林でもグラム産業やキログラム産業としての林業ならできるはずです。木材として考え、それを使うための5年、10年、15年、30年といったプログラムを考えれば、屋敷林は残っていくと思います。例えばケヤキの木がある程度の大きさになったら材木として売り、後継樹を植える。大工さんや家具職人と一緒に椅子やテーブルを作る。芸大生に参加してもらって、ケヤキの枝で遊具を作ったり、アートを考えてもらってもいい。屋敷林に生えるフキで天ぷらをしたり、山椒の新芽を摘んで佃煮を作ったり、そういったプログラムをどんどんやれたらいいのではないでしょうか。
蓑茂 寿太郎プロフィール:

熊本県出身。東京農業大学農学部卒業 農学博士。
2006年に熊本県立大学理事長就任 同大学教授、東京農業大学教授。
日本造園学会前会長、日本都市計画学会副会長、日本公園緑地協会理事、
ランドスケープアーキテクト総合管理委員会初代委員長として同制度の創設に尽力した。

◇事務局編集後記◇
初めて経験した取材。蓑茂先生から次々と繰り出される聞きなれない言葉に戸惑いながらも、人々の暮らしと緑との深い関係を大変興味深く聞かせていただきました。都市部にある屋敷林の使い道は、これから私達がまさに切り開いていくべきプロジェクトなのではないでしょうか。景観を楽しむだけではない屋敷林の使い道について何かアイデアがありましたら、ぜひお気軽にお寄せください。